AI農業のAGRIST株式会社

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齋藤さんはシリコンバレーで何をしてたの?

2022年12月13日 2022年

齋藤さんはシリコンバレーで何をしてたの?

〜アグリストトーク番外編〜

「100年先も続く持続可能な農業を実現する」をビジョンに掲げ、農業の課題に取り組んでいる、AGRIST。1ha1億の実現に向けて、自動収穫ロボット・栽培技術・ビニールハウスを用いた儲かる農業パッケージの開発を進めています。

今回は、AGRISTの代表取締役の齋藤、秦、エンジニア清水のアグリストトーク番外編です。

シリコンバレーへ渡米したきっかけ

齋藤さん:今日のゲストはCTOの秦とAIエンジニアの清水さんです。雑談の中で「齋藤さんはシリコンバレーで何をしてたの?」という話が面白かったので、話していきたいと思います。

秦さん:なぜ20歳の時にシリコンバレーに行こうと思ったんですか?(齋藤さんは20歳〜25歳までの5年間シリコンバレー在住)

齋藤さん:シリコンバレーに行ったのは偶然なんです。大学を休学して渡米しコミュニティカレッジ(以下コミカレ)に入ったんですが、インタラクティブ&マルチメディアテクノロジー科という珍しいクラスがある全米で2番目に良いコミカレが西海岸にあり、日本から近いからという理由で決めました。そのコミカレはテクノロジーに力を入れていて、アップル社が寄付しているので最新鋭のMacがあるし、スティーブ・ジョブスが非常勤講師で来るようなところでした。

でも、行ってみたら全然面白くなかった。エンジニアの街だから何もなかった。ついて3ヶ月後にLA行きたい!と思ったが、当時のコーディネーターに「長く住んでみないと分からないこともありますよ」と言われて留まりました。あの時シリコンバレーを離れなくてよかった。

秦さん:元々の目的は留学?

齋藤さん:いや〜、日本の息苦しさを感じてたから。大学卒業して大企業入って家庭作って家建てて…みたいな未来図が見えて、それが嫌って訳じゃないけど、”チャレンジしたい、一度は海外に行きたい”と思ってました。親戚が交通事故で亡くなったのもあって、「いつか」は永遠に来ないと痛感したので、今しかない!と。

ホワイトボードでピッチしたシリコンバレー時代

清水さん:現地で企業に勤めたのですか?

齋藤さん:そうです。

秦さん:当時と今のシリコンバレーは様子が違う?

齋藤さん:だいぶ違うと思います。当時は日本人居なかったし海外の人も少なかった。だから僕は珍しい存在でした。今でもシリコンバレーで働いた日本人、しかもスタートアップで、なんてほとんど居ないから希少ですよね。

秦さん:当時からシリコンバレーではガレージカルチャー(ガレージのような小さい場所からスタートアップが生まれ成長する)というのがあった?

齋藤さん:そうそう、それしかなかった。紙ナプキンに企業企画書いて出資得た、みたいな話もあったしね。僕が帰る2006年頃から視察が増えたり、ジョブスの真似してプレゼンする若い人が出てきたり。先日うちに出資してくれたドーガン・ベータのツノさんと会った時、ホワイトボードに書いてピッチした、という話をしたら、すごい斬新だと言ってました。日本では、資料渡して「聞いて下さい」というのが一般的なので、僕がホワイトボードに企画を書いてたのが新しことや、今それがその通りに実現しているのを見て「投資して良かった、俺見る目ある!」と言ってましたね。

「3年働いて10年遊ぶ」格言

清水さん:日本に帰ってきた理由は?

齋藤さん:当時働いていた会社が日系企業に買収されてモバイルゲームの会社になる、ということだったんです。スタートアップの面白いところはどんどん人が辞めていき、残っている人が昇格していくところ。僕はクリエイティブディレクターとして全体をみる仕事をしていました。プロダクトとPMをやりながらエンジニアのボスと元ローラーのバイスプレジデント(副社長/本部長)と英語ガチでやりあうとか、この1ページ無くしてくれ!とかね。

秦さん:シリコンバレーで仕事を辞めずに、ずっと居続けられた理由は?

齋藤さん:20代は全部学び、守破離ですよ。30代は立ち上がって40代は破る。この前先輩経営者(ミガキイチゴのイワサさん)に相談したら「40を超えたら悩まなくていい、合わないなら合わないでいい」と言われました。もっと尖らせていった方がいいし、20代30代で蓄えた経験値を思いっきり1番の体力で出せるのが40代。周りが言ってるからとか、振り切っちゃえ!てね。

秦さん:若いメンバーはがむしゃらにやって、ある程度自分のスタイルが固まってる人は合わないと思えば離れてしまう、という感じだったのでしょうか?

齋藤さん:当時は「3年働いて10年遊ぶ」という格言がありました。ここ上場するかな、というのを見てきたし超優秀な人ばかりでした。

清水さん:その当時集まっていた人たちは、やれてなきゃシリコンバレーに居ないでしょうしね。

齋藤さん:一攫千金というか、スタートアップの創業メンバーというのは、株価が上がれば物凄い利益を得るし、実際にそういう経験をした人もいました。1億もらったー!みたいな。

秦さん:スタートアップの挑戦が2、3周目の人がいるんですね。

齋藤さん:みんな周っています。日本もそうなるんじゃないですか?例えばアグリストIPOさせて1〜2年働いて次チャレンジします、というのもあるし、もしかしたらアグリストAIという会社立ち上げて社長やってくれない?というのと同時に辞めてる、とかね。当時は若かったから、辞めていく人を客観的に見ていましたね。

人物紹介

代表取締役CEO 齋藤 潤一 -Saito Junichi-

米国シリコンバレーのITベンチャー企業で音楽配信サービスの責任者として従事。帰国後、東京表参道でデザイン会社を設立。大手企業や官公庁のデザインプロジェクトで多数実績をあげる。2011年の東日本大震災を機に「ビジネスで地域課題を解決する」を使命にNPO活動を開始。2017年4月新富町役場が設立した地域商社「こゆ財団」の代表理事に就任。2019年に地域の農業課題を解決するべく農業収穫ロボットを開発するAGRIST株式会社を設立。

代表取締役CTO 秦 裕貴 -Hata Hiroki-

北九州工業高等専門学校 卒業後、同学の教員と卒業生から成る合同会社Next Technologyに入社。粉末を焼結する特殊用途3Dプリンタの開発や、家庭用見守りロボットの開発に携わる。2018年から同社代表に就任。「やってみたいを形にします!」をスローガンに、互いに得意なことを持ち寄り革新的な製品やサービスを「共創」することを心掛けている。共通するミッションの実現に向けて、AGRISTの最高技術責任者に就任。

https://agrist.com/archives/1145

技術開発/ソフト 清水 秀樹 -Shimizu Hideki-

40歳までSIerとしてのキャリアを積み、主に金融系の事務効率化開発に携わる。新卒から10年間PMとして業務を行い、SIerとしてだけでなくマネージャーとしても活躍。動画や画像解析、AI自社パッケージの製品化から、フリーランスとしてスマホアプリを製作を経てAGRISTへ入社。AGRISTではAIエンジニア兼PMとして活躍中。

     

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