全体のまとめ
大企業からベンチャーに、そしてまた大企業に戻られた異色の起業家・岩佐琢磨氏にお話を伺いました。
岩佐氏は、「やりがい」や「お金」の両方がもはや大企業では満たされきれない時代に必要なのは、個人のキャリアプランをもって組織を渡り歩くことだといいます。
そのためには大企業という肩書にしがみつかず、自分の箱から抜け出して自己主張をし続けることが大事だといいます。
アグリストは地方からのスタートアップですが、やりがいとお金の両輪が満たされるような採用活動を心がけております。
ゲストプロフィール
岩佐 琢磨
2003年からパナソニック株式会社にてネット接続型家電の商品企画に従事。2008年に株式会社Cerevoを立ち上げ、30種を超える自社開発IoT製品を世界70の国と地域に届けた。2018年4月、IoT製品の設計開発販売を行う株式会社Shiftallを設立。その全株式をパナソニックが買収し、岩佐氏はパナソニックに戻る形となった。
オンラインゲームを通した狭い世界からの脱出
――岩佐さんは、メディアを通して古巣の企業へ事業を売却した異色の起業家として注目されることが多いと思います。一方で、ご自身の事業やテクノロジーへの愛も感じますが、そもそもCerevoが取り扱うIoT機器などのモノづくりや発明などが好きになられたきっかけはありますか?
小さいころにラジオを分解したりするのは確かにやった覚えがありますが、ハードウェアにはさほど興味はありませんでした。もともとはインターネットが大好きな子どもでしたから、ハードよりソフトに興味がありました。
大学の専攻は、コンピュータサイエンスでした。その流れで、ソフトウェア開発の職に就こうと思っていたのですが、在学中にいくつかの挫折を経験し、その市場では勝てないことに気づいたのです。
それでもやはり、インターネットが大好きだったので、ハードウェアと掛け合わせることができる領域を探していました。「これからネットが組み込まれるものは何だろう」と探したところ、就職活動をしていた2002年ごろは自動車または家電が来そうだという時代だったので、考えた末に電気メーカーに就職しました。
――ネットのどういうところに魅力や可能性を感じていらっしゃったのですか?
インターネットにドはまりした原体験は、オンラインゲームでした。
高校生の時に、フライトシミュレーターのオンライン対戦にはまったんです。その情報をホームページに掲載したところ出版社から声をかけてもらい、大学2年生から5年間、ゲーム雑誌で連載を持たせてもらえるまでになりました。インターネット革命前の1990年代後半当時、日本でフライトシミュレーターの情報発信をしている人は10数名程度でした。対戦ゲームそのものも海外製だし、利用する人も外国人ばかりでした。
いまでこそスプラトゥーンやフォートナイトなど、場所が離れていてもオンラインで繋がり、同じゲームを体験することが普通のことになっていますが、当時はマイナーな趣味を持つ、年齢も性別もバラバラないわゆる”オタク”同士がボタン一つで繋がることができるということは、すごく貴重な体験でした。
生まれた時からオンラインで繋がる体験をしているZ世代とは違い、それより前の人たちは、つい数十年前までは本当に隔絶されていた世界に生きざるを得ませんでした。
住んでいる地域や特定の所得層などの制限のある中で、みんなに合わせて上手くやっていく必要があったし、上手くやれる人が評価される時代でした。だから、僕のような”オタク”で稀少な趣味を持った人は、独りぼっちでいることが多かったのです。
僕は、そんな隔絶された環境の中でテクノロジーの恩恵の一筋の光を体験した、本当に初期の人物だったんです。そんな体験にワクワクしたのが、その後のエンジニアとしての僕の始まりでした。
逆境をチャンスに。時代の潮流を読む
――岩佐さんがエンジニアとして成長された理由、そしてCerevoを起業後にチーム全員が成長できた一番の要因は何だったと思われますか?
タイミングが良かったのだと思います。例えば現在の2020年では、エンジニアを採用するのには苦労するといわれていますが、僕らが採用を拡大し始めた2013年頃は、エンジニアの買い手市場でした。
TwitterなどのSNSが一気に普及し、iPhoneを筆頭にしたスマホ一つあれば、ネットで自由に情報収集ができるような時代に突入していました。
さらに、そのころから家電業界においても転職が一般的になりはじめて人材流動性が高まっていたと同時に、僕らのようなハードウェア系スタートアップのプレイヤーは少なかったので、挑戦的な働き方をしたいエンジニアがたくさん集まってくれました。
僕はね、「逆境はチャンス」だと色々な人に言っているんです。
2008年のリーマンショック後、数年は景気が悪い状況だったので、そんな時期にスタートアップ事業を立ち上げて資金調達する人はなかなかいなかったんですよ。
だからこそ良いタイミングの波に乗ってアドバンテージを得ることができ、採用活動にもチームの組み立てにも成功したのだと思います。
もう一つの成功要因としては、立ち上げ時にメンターに参画してもらったことが挙げられ、これもよかったと思います。
僕は生粋のエンジニアだったので、経営や資金調達、採用などのことはよくわからなかったのですが、一緒に立ち上げた仲間が僕が持っていない知見を補ってくれたことも上手くいった理由の一つです。メンターとしては、インスプラウトの三根さん、メルカリ創業者の山田進太郎さんなどがいます。彼らは投資家・起業家という経験を持っていて、ベンチャー投資や投資家との付き合い方、そして人の採用などについて色々と教えてくれたのです。
個人のキャリアパスを考えよう
――ロボットエンジニアが評価され、日本にもっと優秀な人が集まるための環境づくりには何が必要だと思われますか?
そもそも、ロボットエンジニアが必要とされる会社が増えないと、待遇はよくならないでしょうね。
人が仕事で幸せを感じるためには、僕は二面のバランスが必要だと思っています。一つはやりがいや名声、もう一つはお金です。
高い給与や名声を与えてでもロボットエンジニアが必要である社会になることをゴールとすると、社会的に認められ、かつ稼げるようになるロボット開発の会社が増えることが必要ですよね。
そういう意味では、ロボット開発の会社の大半は中国ベースになっているのが現状です。一部イスラエルもありますが、日本が苦しい状況なのは間違いないです。
――アグリストは、給与や待遇の面でも東京で働くのに遜色ないレベルを目指しています。加えて、「テクノロジーの力で日本の農業課題を解決する」という大きなミッションはやりがいも満点なので、それに共感できれば、地方でのスタートアップでもやりがいとお金の両方を満たすことができるといえます。
同感です。これまでの日本の組織では、大企業にいてやりがいはそれほどなくても、給料が年功序列で上がっていくのが幸せだと考えられていて、大半の人がそんな働き方をしていました。
でも、いまや経済成長が横這い状態の日本においては、大企業に所属していても給料がドカンとは上がらない状況です。スキルがさほど身につかない上に給料もあがらないので、ハイリスクな選択だと考える人が増えてきているようです。
逆にいうと、ベンチャー企業であってもやりがいがあり、賃金もそれなりに払えるような会社であれば、そちらを選ぶ方が幸せな道だと考えるエンジニアもいると思います。
今後日本の大企業は、M&Aで統廃合が増えていくでしょう。一方で研究開発部門は縮小し、むしろベンチャーに投資して研究開発を外注する時代になってくることが予想されます。
ロボット開発をしたいと思って大企業に入ったけれども、結局はロボットと縁遠い部署に配属されてしまうケースは往々にしてあります。想定していたキャリアパスが描けないとき、組織の中で軌道修正するのではなく、もっと広い視野で一度大企業を出るという選択をできるかどうかが鍵となるのです。
組織の中の自分ではなく、一個人としてのキャリアを実現することを考えると、一度ベンチャーに転職して専門性を身に付け、もともといた職能階級よりも数段高いポジションで大企業に戻ってくるという道もあると僕は思っています。
今のコロナ下の環境は、チャレンジ精神がある人にとっては門戸は開かれた環境です。エンジニアは、恐れずに専門性を深堀りできるような環境に身を置くことをおすすめします。
しがみつくな。自己主張せよ
――シリコンバレーにあるイノベーションを生む仕組みがまさにそうなのです。人が流動することで多様性が生まれてイノベーションが生まれ、個人がより専門性を身に付けることも可能となります。それが結果的に、国力の強化にも繋がります。これからは「個の時代」であり、「ロボットエンジニアは自己主張せよ」ということなのですね。
そうですね。僕のパナソニック時代の上司で、90年代に東芝からパナソニックに転職されてきた方がいますが、当時の同業種間の転職は、色眼鏡で見られるような肩身の狭い位置づけでした。
東京や神奈川以外の地域では、未だに転職をネガティブに考える方は多いのですが、実はたくさん選択肢がある時代になっているのです。
会社の都合に自分を合わせるのではなく、自分の都合に合わせて会社や組織を渡り歩くのも良いと思います。要は、「しがみつくな」ということです。
しかしそれは、自分のキャリアプランをきちんと考えるということが前提になります。例えば、「新卒から5年は電気のエンジニアとしてキャリアを積み、その後3年間はメカニカルエンジニアを経験して手に職をつけよう」など、自身がなりたい姿をしっかりと捉え、それに必要なキャリアを考えということが大切なのです。
コミュニティに飛び込もう
――個の時代の前提は、キャリアプランを自分で考えて行動する社会だということですね。しかし、組織の中に一定期間いると、考えるのをやめてしまう人が多いと思います。そういう人たちが、改めて組織の外も選択肢にいれた個人のキャリアを考えるには、何が必要だと思いますか?
組織の中に埋もれ、意識せずに考えるのをやめてしまった人に対する僕が思っている解は一つです。新しいものを自分達でワクワクしながら、考えて自己主張している人たちがいるコミュニティに参加し、対話をすることです。人との出会いを通じ、自分の価値観を大変換する体験をするのが良いでしょう。
それも、「このイベントは面白そうだし、行ってみよう」ぐらいのノリでよいのだと思います。
昔の僕は大企業の一社員でしたが、起業するに至ったきっかけは、やはりそういったコミュニティにあるのです。ある時、ブログなどを自己発信している、元気のある人たちの集まりに参加したのがきっかけです。今では、そのコミュニティの参加者の半数以上は起業していて、上場社長も数人出ています。どんな環境に自分の身を置くかは大事ですね。
どんなイベントでもいいし、自分が好きなことに関するものでもいいんです。
僕はそれを、「コミュニティの端っこにつかまる」といっています。端っこにつかまれば、コミュニティのインナーサークルに巻き込まれ、ポジティブスパイラルに入るので、新しい選択肢に向かっていけるような気がします。
自分の箱の外に飛び出してみよう
――大企業の中では評価を受けていなかった資質が、ベンチャーに行って既存の枠を外してみると重宝されるということはよくありますよね。自分の箱から抜け出すことができれば、本当の自分の才能が自己主張できるということですよね。
岩佐さんは大企業に戻られても楽しそうですが、今は一番何が楽しいですか?
パナソニックという企業に新卒で入り、一度外に出て起業し、経営を経験した状態で古巣に戻ってきたのが今の僕です。その経験による完全な自信をもって大企業で好き勝手ができることは、ストレスフリーそのものなのです。
ベンチャー企業にいる間に、経営の経験やスキルがついただけでなく、僕には1人の人間として人と強固な信頼関係を構築してきたという自負があります。僕が代表取締役という肩書を失っても、その有無にかかわらずに困ったら助けてくれる仲間がたくさんいます。
明日首になると困るという人は結構いると思いますが、仮に僕が明日辞めさせられても、路頭に迷うことはないという自信があります。それがあれば無敵ですよね。
僕自身は天才ではなく、相当の努力をしていたわけでもありません。組織という枠を越え、適切なタイミングで適切な判断を行いさえすれば、そういったストレスのない楽しい日々が待っているんです。
――自分のキャリアプランを考え、一度今の組織を飛び出してみる。ロボットエンジニアに向けた重要なメッセージですね。
岩佐さんのお話を伺い、シリコンバレーで出会ったあるCEOの言葉を思い出しました。彼は、「3年、まず死ぬ気やってみろ。3年やって芽が出ない場合は、方向性が間違っているか、努力が足りないかどっちかだ。ただ、3年後には必ずひとかどの人物にはなっているはずだ。」と言っていました。
まさに、組織の中で思い悩んでいるロボットエンジニアの方は、外に飛び出して3年頑張ってみるとよいかもしれないですね。そう考えるならば、環境野整っているアグリストが、チャレンジの舞台として選択肢の一つであることは間違いありません。